第1104回 カノッサの屈辱とハーヴェイロードの前提
誰にでもセカンドチャンスは訪れる。でもそれを逃してしまう人が多い(映画『ボブという名の猫』)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
失敗を恐れるなとよく聞きますが、そうはいってもイヤなものはイヤです。失敗のショックで心が傷ついていつまでも引きずってしまうし、一度の失敗であいつはダメなやつだと評価されてしまうことだってあるし、何より失敗そのものが苦痛であり心労であり懊悩なのだから、できるだけ失敗しないように気をつけるのに越したことはないと思ってしまいます。
理屈で考えれば、失敗こそが次に向かう学びであり糧であり人の痛みを知ることであると言えるのでしょうけれども、なかなかその境地に立つのは勇気も決意も度胸も必要です。
となればもう、開き直って謝りながら、とにかくやり続けるしかないのかもしれません。失敗に失敗を重ねながらもやり続けて、どこかでやっとうまくいった時に、ひっくるめて成功なのだと捉えます。そういえば、「誤る」と「謝る」は同じ語源の言葉ですし。あやまること、そして続けることです。
<今日の一唱>
映画『ボブという名の猫』