第1035回 白髪三千丈とシネクドキ
物事を複雑にしたり曖昧にするのは、事実そのものではなく、その扱ひかたによるのだ(映画『ナイブズ・アウト』)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。
事実は一つであるのに、それを見る人間の気の持ちやう、取り上げ方、解釈の仕方によつて、如何様にでも変容するものです。一部を誇張したり、省略したり、並べ替へたり、言ひ換へたり、要約したり、付け加へたり、例へたり、強調したり、歪曲したり、誤魔化したり、隠蔽したり、冗談めかしたり、勘違ひしたり、そんなことによつて同じ事象も全く違う容貌を呈するのであり、だからメディアによつて言ふことが異なるわけです。
このプロセスはひとことで言へば編集です。これは人が事実を把握しそれを理解して咀嚼して他者に伝へる過程で必ず発生するものであります。それこそが人の介在する意義でもあり、物事を捉へるための手法でもあり、社会と対峙するツールなのだから、なくてはならないものです。
とすれば、一つの事象に向き合ふ時に、そこにどのやうな編集が施されてゐるかを知らなければなりません。誰が何のためにどんな方法で情報を発信してゐるか、それを見拔く姿勢と力が必要です。それが、情報に飲まれずに世界を生き抜くための武器となります。
<今日の一唱>
映画『ナイブズ・アウト』