第526回 ミンコフスキー空間と完結相

カタリ、カタリ、なぜ書くのか、そんな酷いことを。なぜ、言うのか、苦悩に陥れるようなことを、カタリ、忘れないでおくれ、君に、このブログを捧げたことを、忘れないでおくれ、カタリ。こんにちは、大島雅己です。

何につけても「今」を大事にしてしまいます。どうかすると「今」のことばかり考えています。今、何をするか。今、どちらに行くべきか。今、なにが問題なのか。今、何を食べるか。今、酒を飲むべきか。音楽でも同じです。今、面白い音楽は何か。今、活躍中の音楽家は誰か。今、聴くべきものはどれか。今、練習すべき曲は何か。

今を生きている自分にしてみれば、そう考えるのは自然なのでしょう。しかし考え方を広げるのであれば、時間の振り幅を思い切って飛ばしてもよいのではないかと考えています。昨日なぜこの曲を聴いたのか。先週聴いたこの曲の意味は今にどうつながるのか。今から聴く音楽の次に聴くべきものは何か。明日聴きたくなる音楽は何か。来週、来月、来年聴くことになるのはどんなものか。そこに向かって音楽をどう変遷させていくか。

なんとも偏屈な考え方のようでありますが、長い時間軸の中に精神を横たわらせる考え癖のようなものがあってもいいのではないかということです。IT現場ではこの考え方がたいへんに重要で、過去どうなってきて、未来にどうなるかを常に考えられる人がすぐれたIT者だと思っています(なかなかいないのですが)。

<今日の本歌>
サルバトーレ・カルディロ『カタリ・カタリ』

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