第344回 住所地法主義とジェネラティヴィティ
やけのやんぱち日焼けのなすび、色は黒くて食いつきたいが、あたしゃ入歯で歯が立たないよ、角は一流デパート赤木屋、黒木屋、白木屋さんで紅白粉つけたお姉ちゃんから下さい頂戴で頂きますと、五百が六百くだらないブロガーですがこんにちは、大島雅己です。
IT現場でありがちな問題シリーズ。
人がいなくなる。これはある程度の規模の会社組織の場合とくに起こりがちで、避けるのも難しいでしょう。人事異動はとめられないし、本人の都合で転職や退職もあるし、場合によっては体調を崩すかもしれません。
プロジェクトのリーダーでも同僚でも後輩でも、あるいは客先の担当者でも馴染みの業者さんでも誰でも、いつも頼りにしているあの人がずっといてくれるとは思わない方がよいでしょう。そういう人がもしいなくなったらどうするか、いなくなっても仕事に支障を出さないために何ができるか、というシミュレーションを常に考えておくべきだと思うのです。
なおかつ、自分だっていつその場を去るかわからないという想像力も必要でしょうね。その時に現場が困らないようにするにはどうするか。
芸術、芸能などの創作に携わっている場合は逆かもしれません。誰にでもできるものを作っても価値にならないからです。いま作っているものは自分にしかできないものかどうか。自分が入っているかどうかを常に意識するということです。
<今日の本歌>
山田洋次『男はつらいよ』