第521回 禿山の一夜と名前付きパイプ

俺は恥さらしのブロガー 今はまだ目に見えない官能的で根源的なある秩序の使徒なのだ いつの日か多数者も深層のブログの流れ…《共時性》について…《契機》について…気づくだろう。こんにちは、大島雅己です。

ピアノの稽古でフト気づいたシリーズ。多くのピアノ曲は左手で伴奏を弾き右手でメロディを奏でます。これはピアノという楽器が左から右に向かって音程が高くなるようにできているからです。つまり、たいていの場合音楽は高い音で旋律を歌い、低い音がそれを下支えするという構造になっているということです。

右手の節回しを盛り上げて引き立てて追い立てるように、左手はリズムを刻み和音を響かせ雰囲気を作るのです。音楽という表現の中で、左手は基盤を築き、右手は表舞台で脚光を浴びる存在になっているわけですね。

しかし、だからといって、左手は目立たず大人しく、右手は派手に前のめりに弾くべきだ、とは限りません。左のリズムが大々的に存在を主張して曲をリードしてもよいのだし、右手が左手の装飾として盛り立て役になってもいいはずなのです。

メロディが主役であり伴走が脇役であると思い込んでいては、通り一遍のしゃっちょこばったつまらない音楽にしかならないでしょう。お互いが恩恵を交わしあって響き合って全体として最高のパフォーマンスを発揮できることが大事なのです。

まさにIT現場の、上物と基盤の関係と同じことではありませんか。目に見えるソフトやウェブ画面と、それを支えるOSやインフラも、全く同じ関係にあるのです。

<今日の本歌>
狩撫麻礼・たなか亜希夫『ボーダー』

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