第490回 ヴァルサルヴァ法と最高善

貴方がこのブログを読みに来たことを、誰か知っているのでしょうか。この怪しい評判の場所。ううむ、怖い。貴方はたいへんな人です。こんにちは、大島雅己です。

ピアノの練習曲を弾く時、とにかく譜面を追うことが先決になっていて、全神経をフル稼働させて譜面の音を認識し、鍵盤の場所に置換し、指に位置情報を伝達し、腕を運動させ、かつリズム情報を把握して運動に時間的変化をつけるという行為を、右手左手のダブルで継続しています(こう書いてみると人間技とは思えなくなってきます)。だから集中力が少しでも切れると途端に指はいうことをきかなくなり目はどの音符を見ればいいのかわからなくなり演奏は崩壊するのです。

この状態は楽器をいじっているレベルであり、音楽を演奏しているとは言えません。自分の表現になっていないし、もちろん芸の域には程遠い。しかしピアノの師匠にいつも言われるのは、譜面が読めるようになって一通り弾けるようになってから自分の表現を考えるというやり方ではダメで、最初から音楽を意識しなければいけないということです。

動けるようになってから方針を決めるなんてむしろ逆なのです。どういう音楽にしたいのかという思いが先にあるはずで、そこに向かって演奏を作っていくわけです。

IT現場にいると、やりたいこととやるべきことが混乱しているのをよく見ます。目の前の負をなくすために、本来やりたい方向とは違う方に向かっている。現在を充実させながら未来に負を残す方向に進んでいる。本当は大きな方針を立てていたはずなのに、もはやそれは忘れられ、システムを作ることが目的になってしまう。このようなITは誰も幸せにしません。

<今日の本歌>
プリンス『ロック・ハード・イン・ア・ファンキー・プレイス』

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