第207回 筋肉性自動作用とオーケストリオン

昭和九年、谷崎潤一郎が『文章讀本』をあらはしてのち、二十五年の川端康成、三十四年の三島由紀夫、五十年の中村真一郎、五十二年の丸谷才一と続いた。今わたしは『らせん日報』なるものに取りかかつてゐる。こんにちは、大島雅己です。

コンピュータ・システムはプログラミング言語で書かれますね。この言語はたいていの場合、アルファベットや数字や記号で構成されていると思います。それらを組み合わせて命令文や説明文にするわけですね。
この言葉が間違っていたり不完全だったりすると命令が行われなかったり間違ったりする。これは当然ですね。そしてこの言葉を伝えるのは人間です。人間が命令をプログラミング言語に翻訳して伝えるわけですね。

となるとプログラマーは人間の言葉をプログラミング言語に翻訳する言語能力が必要ということです。
おおもとの命令が抽象化されている場合は、これを段階的に具体化していって最終的にプログラミング言語に落とすという流れになると考えられますね。この段階に関わる人達の言語能力が重要というわけです。

もしかしたらその部分もやがてAIがやるようになるのかもしれません(もうなっていたりして?)。
しかし、一番最初のおおもとは人間が言葉にしなければならないはずでしょうから、やはりシステム開発には、充分な言語能力をもった生身の人間が必要ですね。

ちなみに楽器の演奏の場合はどうでしょう。演奏の技術も楽譜の記述もAIが活躍することは想像できます(もうなっていたりして?)が、一番最初に「どういう音楽を演奏したいのか」という欲求は人間でないと持てないものではないですかな?

<今日の本歌>
丸谷才一「文章読本」

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