第1565回 パーロチカと外在主義

茄子のヘタ向いて笑つている夕べ。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

自分で自分のことを何と呼ぶか、その種類は辞書などを見ると驚くほど多く、あ、わ、せつ、しょうせい、ちん、てまえ、われ、わたくし、ぼく、おのれ、等など、数十はありそうです。派生形や方言なども含めれば百は超えそうです。なぜこれだけバラエティに富む名称が生まれたのか。そしてその根底を貫く横串的な語源があるのか。

こういう話は井上ひさし先生に頼るに限ります。『私家版 日本語文法』の「自分定めと縄張りづくり」にそのヒントがありました。要するに日本人は相手との距離感、関係性を徹底的に気にするために、その状況に応じた自分を都度演出しているのであるという。指示代名詞によって変幻自在に自分を変えるのである(ついでに相手の呼び名も同じように使い分ける)。お前と俺なら気の置けない仲間であるし、貴殿と拙者であれば堅苦しい上下関係が構築される。この文化がよいか悪いかはさておき、自分というものにたくさんの可能性がある点は興味深い。

いまの自分は相手にとってどんな位置にあろうとしているのか。自分を名乗ってみればわかる。

(A面へ)

<今日の一唱>
井上ひさし『私家版 日本語文法』

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