第1564回 酸化的リン酸化とマスキー法

梅雨明けの言葉が熱さ重ねをり。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

昔から時々考えていたのですが、呼吸というのは息を吸って吐くものなのか、吐いて吸うものなのか。これについては最近の呼吸法などを参考にするところ、吐いてから吸うのが正しいようです。とすると、まず捨てよ、それから取り入れよということなのでしょう。

しばらく息を止めてぎりぎりまで呼吸を我慢したあと、限界を越えた時にとるべき行為は、呼気なのか吸気なのか。酸素が不足する苦しみを解消するのか、二酸化炭素の排出を優先するのか。これは息を吸ってから止めるのか、吐いてから止めるのかによるのでしょうが、どうもたいていの場合は吸えない苦しみより吐けない苦しみの方がつらいような気がします。

つまり手に入れるよりも捨てる方が難しく、かつ重大であり、適切に捨てられていれば自然に正しい取り込みもできるということなのかもしれません。

そういえば『荘子』に「無有に遊ぶ」という言葉があります。有とは存在のこと。無有は有限なる存在を超えた立場です。無があるから有があるのか、有があるから無があるのか。

(A面へ)

<今日の一唱>
『荘子』

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