第1520回 スタンパとQ資料
藁の束押さへる猫の怪力や。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
たいていのことには先達がいるもので、自分にとっては初めての体験であってもどこかで誰かがすでにやっているはずで、場合によっては何十年も何百年も何千年も歴史があって何千人も何万人もの人がこなしていることであります。
つまり見本や手本がいくらでもあるわけですが、とはいえそれらの過去の見本や他人の手本をその通りになぞることはできず、それに対して今自分がやろうとしているこの瞬間の体験は自分だけのものであって他の誰のものでもなく、世界に唯一無二の行為なのです。
そういえば伊集院静氏の『ミチクサ先生』で、夏目漱石が『草枕』を書いた時の述懐に「これで良いのか、悪いのか、わからない。何しろ小説の見本などないのである」とありました。自分の言動はいつでも自分にとってオリジナルであるということですね。
<今日の一唱>
伊集院静『ミチクサ先生』