第1507回 カハリクリと周波数変調
画用紙に牡丹の花を描く夜更け。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
日常で当たり前のように関わっているものについて、あらためてその仕組みや本質や歴史について考えた時にほとんど何も知らなかったというケースはざらにあります。
こういう状況を、見る人から見れば「ボーっと生きてる」というのかもしれませんが、私は、テレビが映る仕組みも、ファックスの伝送のからくりも、自転車のブレーキの構造も、正確に説明することはできないのです。
パソコンが動くメカニズム、インターネットが繋がる理由、データベースの存在意味等については、長年関わってきている分それなりにわかってはいるつもりですが、これを何も知らない市井の第三者にも理解させることができるかというと、おそらく無理です。つまりは、体で習得しているとは言えないのでしょう。
本当にその道に通じて真の理解者として達観するには、そこまで自在にできる域にいなければいけないはずです。
そういえば『論語』に「道に聴きて塗に説くは、徳をこれ棄つるなり」と洒落のような一節がありました。かじった程度の半端な知識を受け売りしているうちは身につくはずはなく、人徳を失うようなものだ」とでもいうことでしょうか。あえて説こうとしなくても知らぬうちに聴く人に言葉が伝わるぐらいのレベルにありたいものです。
<今日の一唱>
『論語』陽貨編十四