第1496回 パイディアと間隔反復

五月猫ウィスカーパッドふくふくと。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

どうして勉強はイヤなことで、遊びは楽しいのか。昔からこれが疑問でした。勉強する気が起きないのはそれがイヤなことであるからだが、それはどういう点についてどうイヤなのだろうか。それは遊びにはないことなのか。勉強にあって遊びにないものとは何か。それがわかれば勉強を楽しむこともできるのではないか。

現に自分は勉強していて楽しいと思うこともある。その感覚を意識して常に持てるようにできれば勉強も遊びも同じように楽しむことができ、それによってもっと世界が拡がるのではないか。例えば勉強は「何の役にも立たないことを覚えなければいけない」ものかもしれないが、それは遊びにこそ言えることでもある。もしかして勉強がイヤで遊びが楽しいというのは単なる思い込みなのではないだろうか。そんな気さえしてくるのです。

そういえば『中庸』では道を学ぶ際の方法として「或いは安んじてこれを行い、或いは利としてこれを行い、或いは勉強してこれを行う」とありますが、ここで言う「勉強」も、「イヤなことをしかたなくやる」という感じではないとしても、やはり、コツコツと粛々と努力するニュアンスがありますね。何か別の楽しそうな言い方に替えてみたいものです。

(A面へ)

<今日の一唱>
『中庸』

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