第1471回 富山反魂丹と低圧バンキング
眠り猫われもさうなり春うらら。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
世界は物の移動によって成り立っている、などと書いたことがありますが、別の言いかたをすると、世界は物の配置で決まるということでもあります。配置とは本体の位置、立場、向き、ベクトルであり、なおかつ、他との位置関係であり、他との組合せであり、全体の中の並び順でもあります。
私の居場所、立ち位置、向き先、私と部屋の位置関係、私と町の位置関係、私と部屋と町の位置関係、私と部屋とワイシャツの位置関係、私と町と病院と警察署と消防署の位置関係、私とA氏との並び順、私と猫と鰹節とキャットタワーの組合せ、その他、その他。
とすると、世界を把握して理解するためには、物の配置を理解する必要があります。物と物の配置です。それにはまず、どんな物が登場するのかを知らねばならず、それらを理解してはじめてその関係性を確認していくことになります。簡単なことのようで極めて難しいことかもしれません。
そういえば植草甚一氏のジャズ・エッセイで、チャーリー・ミンガスの『ハイチャン・ファイト・ソング』のことを書いたものがあって、「ミンガスのベース・ソロが、あたりの沈黙した世界のなかで、空気をゆさぶらせながら、悲壮な決意を胸がつまるような思いで語りかけている」と絶賛しています。ベースとその周囲の空気の関係性が感動を生む見事な例でしょう。
<今日の一唱>
植草甚一『コーヒー一杯のジャズ』