第1429回 フルスレッドと流し樽

水道の水の温みを少し待つ。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

中学生の時、技術科という授業があって、木を削ったり金属加工を学んでおりましたが、作業中にボルトが足りなくなり、教師のところへもらいに行こうとして、ふと立ち止まったのです。「ボルト」だったか「ボトル」だったか急に自信を失い、長考の末に「ボルト」だな、と結論し、間違えないようにしなくてはと頭の中でボルトボルトボルトと唱えながらあらためて教師のところへ向かい、いざ口を開いたら「ボトルください」と言ってしまったのでした。意識をすればするほど間違える事例として今でも定期的に思い出すのです。

しかし意識をしなければ間違えなかったのかというとそんなこともなく、ただ自分の中にボトルもボルトも言葉と実態の結びつきが確立できていなかっただけなのでしょうけれども、ヘタに意識をして結果的に間違えてしまうよりも、意識をせずにうっかり間違えてしまう方が傷は浅いのかもしれません。さらには、そもそも何も知らずに白紙の状態で何でも来いと覚悟している方がもっと強いのでしょう。

そういえば立川志の輔師匠の落語でもおなじみ、清水義範氏の『みどりの窓口』では「コンピューター」を理解しない粋な客が「金毘羅様の話なんかしてない」と返す場面が印象的です。コンピューターを知らない相手にコンピューターの仕組みをどう説明すればわかってもらえるでしょうか?

(A面へ)

<今日の一唱>
清水義範『みどりの窓口』

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