第1422回 有りんす詞とセプトゥアギンタ
朝ぼらけ鶯笛で覚ましたい。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
テレビやラジオで外国人のインタビュー等を通訳する場面に出くわすと、だいたいにおいて滑稽に聞こえます。たとえば相手が若手の男性ミュージシャンなどの場合は「○○○だぜ」「△△△だろ」のようなぶっきらぼうな口調で訳されるし、人気女優などであれば「○○○だわ」「△△△なのよね」と、なんとなくつっけんどんな言い方になるのがお決まりのようなのです。
なぜ「○○○ですね」とか「△△△でしょう」のように丁寧語にしないのか。それはメディア側の勝手な思い込みか偏見か先入観か固定観念によるものでしょう。しかし実際の口調が日本語でどのようなニュアンスであるかは、その元の言語を母国語レベルで理解できる人でなければ体感できないでしょうし、あるいは日本語に訳しようのないものかもしれません。それは言語体系が全く違うものである以上は仕方のないことですが、勝手な思い込みで一方的な口調に収めてしまうのはやめてほしいのです。
そういえば夏目漱石の『吾輩は猫である』は英訳本で ‘I am a Cat’ のようですが、もうその時点で、あの猫の感じとは別なものになっていますよね。スヌーピーが “I” と言う時、はたして「ぼくは」「おれは」「私は」「吾輩は」「わしは」のどれに近いのでしょうか。あるいはどれでもないでしょうか。
<今日の一唱>
夏目漱石『吾輩は猫である』