第1416回 ジェルソミーナと夕死可矣
富士の銀めくるめくやう春の空。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
ふとしたことから「道」という言葉が気になり、語源や字源を追ってみると、まず「みち」の「み」は「御」であり、神聖なものにつける接頭語なのでした。つまり本体は「ち」にあるのですが、これは霊的な力を指す意味するようで、それが動物の体の中に流れれば「血」となり、子孫を育むものが「乳」であり、エネルギーとなって湧くのが「力」であり、そうして維持され受け継がれるものが「命」ということなのでしょう。精霊的なものが行き交う場所として「みち」となり、広がりをもてば「まち」になるということでしょうか。
さらに漢字の「道」は異族の首を携えている様子を表しているといい、そうやって邪霊を祓い清めながら進むのが「みちびく」というわけです。
「道」を歩く時も、ものの「使い道」を決める時も、自分の「生きる道」を進む時も、神聖な気持ちになって自分の血や力や命に向き合うべきなのかもしれません。
そういえば高村光太郎の有名な「道程」はもともと100行以上あって、その中に「やつぱり此が此命(いのち)に導く道だつた」というフレーズがあります。道を極めるのは、やはり生きることに他ならないのでしょう。
<今日の一唱>
高村光太郎『道程』