第1409回 イリイズムと梵我一如

春夜空浪漫の騎士が目眩く。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

三方良しと言えば「売り手良し・買い手良し・世間良し」という近江商人の理念と言われていますが、この考え方は商売の世界に限らず、人の様々な言動において拠り所にすべき哲学と言えると思うのです。「我はどうか・彼はどうか・他はどうか」、つまり、なにごとも一人称・二人称・三人称の視点で捉えることによって完全性を追求することができるでのはないか。

自分の言動を相手の視点から見るとどうなるか。それがさらに第三者の目線にはどう映り、結局全体としてどうなるのか。そういわれてみれば、何かをする時まず自分の感情や思考を優先してしまっているし、それが相手の眼にどう映っているかなども想像せず不興を買ったり無視されたりするし、いわんやそれが天の一角から俯瞰された場合どうなるのか、夢想だにしていないことがほとんどです。なぜ自分はダメなんだろうとかどこがいけないのだろうと悩んでいる時はたいてい、「我」の視点だけしか動かしていないのでしょう。「彼の視点」「他の視点」を自然に使えるようになるにはまだまだ修行が足りないようです。

そうえいば外山滋比古氏が、三人称までの世界をさらに俯瞰する観客をアウトサイダーとして四人称と位置づけていますね。確かかに第三者の世界をどう区切るかによってはそれをもっと上の視点から捉えることができるのだから、四人称、五人称という言いかたもありえます。重要なのは自分がどの視点で語っているのかを意識することなのかもしれません。

(A面へ)

<今日の一唱>
外山滋比古『第四人称』

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