第1402回 大和猿楽とジンケート浴
曲水は叶はぬものの酒はあり。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
ピアノのレッスンにもう10年以上通っていますが、これだけ続けていると、稽古の中で新たな発見があったり目から鱗が落ちるといったようなことはあまりなく、師匠から指導される内容はほぼ決まっています。つまり自分の演奏スタイルにどんな問題があり、どうすればそれを克服できるのか、自分でもだいたいわかっているのです。
それなのになぜレッスンを続け、同じようなことを指摘されるのかというと、プロフェッショナルから直接教えを受けることに最大の意味があるからです。自分で理解したつもりになっていることを自分の頭で反芻しながら稽古を続けても、おそらく真の修業にはならないのです。これは本を読んでわかったつもりになるようなものです。
プロから指導を受けるのは、自分の中のOSを最新化するような、自分の体に漆を塗り重ねていくようなもので、常に更新し続けていかなければ意味がないものと考えます。
そういえば世阿弥は芸の伝授を風と称し、「その風を得て、心より心に伝ふる花なれば」と言っていますね。師から教えを受けることが風であり、そこに花があるということでしょうか。
<今日の一唱>
世阿弥『風姿花伝』