第1275回 スーパーエゴと他力本願

道俗時衆共に同心し唯この高僧の説を信ずべし(親鸞『正信偈』)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

自粛とか自衛とか自助などと申しますが、自とは人の鼻を象った文字だそうで、その指すものは他ならぬ自分であり自身であり自己であり自我であります。

自分のことは自分で何とかする、他人を当てにせず自身の力で事に当たる、自分の言動に責任を持つ、自分の頭で判断する、こう言うと真っ当なことに聞こえますが、そもそも人間がすべてを自分一人の力だけで行うことなど不可能です。

自分自身がこの世に誕生したのは自分の力ではないのだし、衣食住をはじめとする環境や資源や素材のすべてはどこかから戴かなければならないし、自分のやることなすこと言うこと考えることのほぼ全ては過去の先達や周囲の誰かの模倣です。なによりも、何かを考えるにも言うにも言葉や文字が必要ですが、それこそ遥か昔の先人たちの大いなる遺産です。

自力でがんばる、などと軽々しく言えたものではないのです。

(A面へ)

<今日の一唱>
親鸞『正信偈』

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