第1156回 ペトロフ事件と存在論的ニヒリズム
有る時は蟻が有り、無い時は梨も無し(出典不明)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
「ある」は動詞で「ない」は形容詞といいますが、どちらも状態を表す相対する言葉なのに働きが違うのは何故でしょう。それはともかく、「ない」状態とは考えてみれば不思議なものです。本来あるべきものが消えてしまった時に使う「ない」は、「ある」の否定形としての消極的な補助的な立ち位置にいると言えましょう。そうではなく、独立した意味での「ない」は成立するのでしょうか。
つまり、「ある」ことを前提とせず、元から存在しないことが前提で「ない」を主張することができるのかどうか。何が言っているのかよくわからなくなりそうだと思いつつ、こういった話は哲学の世界で昔からさんざん議論されたのでしょう。
「ある」ことについては目につき耳に入るけれど、「ない」ことについてはそもそも存在しないのだから普通ならば知覚のしようがない。それに気づけるかどうかが大事な気がします。「あるべきものがない」ことではなく、「ないものがある」ことに気づけるかどうか。
<今日の一唱>
出典不明