第1117回 グリーンベルト運動とヌーメノン
唐櫃先に舁き入れさせ悠々たる絹傘も、さすが五常軍甘輝と名に負ふその物体(近松門左衛門『国姓爺合戦』)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
「物体」と「勿体」はそもそも同じことであるようで、「物の本体、形」を意味するといいます。「勿体をつける」「勿体ぶる」などと言えば本体を強調する、つまり「重々しい」の意味になり、「勿体ない」とくれば、物の本体をなくす、本来の値打ちが損なわれる、すなわち「無駄になる」「惜しい」を表すわけか。さもあらん。
子供の頃、親から小遣いをもらう時に「無駄遣いしないように」と言われたものですが、どうすれば無駄になりどうすれば無駄でないのか、この判断は難しいと感じていました。駄菓子を買えば親にとっては無駄遣いかもしれないけれど、自分にとって必要なものだと思って買ったのなら妥当な出費ではないのか。
浪費と消費と投資の区別が大事ですなどと言われますが、その分岐になるのは最終的に「自分にとって価値があるかないか」しかないのかもしれません。そしてもう一段踏み込んで言えば、自分ではなく「社会にとって価値があるかないか」ではないでしょうか。
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<今日の一唱>
近松門左衛門『国姓爺合戦』