第1110回 自然主義的誤謬とゴルディロックス原理

穏やかな夜に身を任せるな(ディラン・トマス)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

人間は不快から逃れて快に向かうものである、とすれば、快に行き当たった後は進歩をやめてしまうのか。いや、そうではないでしょう。すぐにまた新しい不快を見つけ出し、それを快に向けて歩き出すはずです。

快を得るための解を求めて。その快が手に入ったら、さらに次の不快を探り出し、快への階段を昇るのです。それまで不自由なく生きていたにも関わらず、快が手に入るとどこかに不快をあしらえて、それを改善すべく快を探し続ける。解の階の改の快です。

欲求の五段階とか六段階とか言われますが、けだし人間とは無から不快を作り出す生き物で、それを快に変えようともがき続けるものなのでしょうか。そう考えてみると、快を追求し尽した末の人間の状態とは一体どんなものなのか、そら恐ろしい気がしてきますね。

(A面へ)

<今日の一唱>
ディラン・トマスの詩

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