第1050回 侵入思考と認知ドメイン

春来ぬと人はいへども鶯の鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ(壬生忠岑)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

思ひ込みに囚はれないために心がけてゐるのは、すべてを素直に受け入れること、かつ、すべてを疑ふことです。相反する二つのスタンスを同時に、交互に、代はる代はる、並行して取ることで固定概念にも既成観念にも負けることなく冷静な状況判断に近づくことができます。

目の前で起きてゐる事実は事実として客観的に受け止めます。その事実から想定、連想、類推される様々な事象はどれも自分の主観に過ぎません。目の前に硬質で透明な容器があるとして、これを「コップだ」と思つた瞬間にもう主観に囚はれてゐるわけです。別の見方をすればそれは文鎮かもしれないし何か別の器具である可能性もあります。だからこれをコップだとするのは本人の決めつけです。つまり客観的事実に対して言葉で解釈しやうとするとどうしても主観に左右されてしまひます。

客観的な見方をする時には一旦言葉を忘れ、次にそれを言葉を使つて主観によつて解釈する、この二通りの見方を繰り返すことで情報処理を行ふべきなのです。

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<今日の一唱>
壬生忠岑『古今和歌集』巻第一11

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