第1038回 単純環とコーアクシャル脱進

大きな時計に小さな時計、どちらも時間はおんなじだ(寄席の都々逸)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

骨董品の柱時計であらうと贅沢品の高級腕時計であらうと数百円の壁かけ時計であらうと高性能のスマートウォッチであらうと、示す時刻は皆同じです。とすると、時刻を知ることが目的であるならば、どんな時計だつて文句はないはずです。それなのに、腕時計ひとつ買うのにあれでもないこれでもないと悩んでしまふ。

それは、時刻を知るといふ目的以外にも、気にかかる要件がいろいろと出てきて、その優先順位の折り合ひがつけられないからでせう。デザイン、色味、重さ、フィット感、付属機能、値段、名称、メーカー、店の雰囲気、店員の態度、等々。

時間がわかればそれで充分なのに、いや、もつと言へば既に腕時計を持つてゐるから買ふ必要すらないのに、なぜかくも無駄に思へる悩みに頭を費やすのか、それが人の心の不思議で面白い所なのかもしれません。AならばBだ、と単純明快に物事を図れないのが世の中といふものなのでせう。

(A面へ)

<今日の一唱>
寄席の都々逸

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