第1023回 レンチキュラーと方言連続体

樵隠倶に山に在るも、由来事は同じからず(謝霊運)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

目に見える現象は同じであつても、背景にある事情はそれぞれ異なるものです。言ひ方を替へると、一つのものを見ても、捉へ方は受け手の数だけあります。これはなにも、円柱の平面図と正面図で形が異なるといふ話でもなく、群盲が象を撫でる寓話のことでもなく、一つの情報から何をどう感じるかはいくらでも広がるといふことです。

この顕著な例は落語でせう。同じ話を聴いてゐても、観客の頭の中には、それぞれ自分だけの映像が展開されてゐるはづです。登場人物の容姿も表情も仕草も服装も、長屋の様子も部屋の広さも町の情景も、ひとつたりとも同じものはないでせう。

とすれば他人同士が全く同じ情報を共有するのは極めて難しいことで、相当に気を遣つて微妙な表現にまで神経を尖らせコミュニケーションをする必要があります。とても、一言二言会話をしたぐらいで爲せるものではなささうですし、ましてやネット上のやり取りだけでわかり合ふなど至難の業に思へます。

ビジネス現場でも組織やチームでの合意形成にはどんなに気を遣つても遣ひ過ぎることはないのでせう。自分では充分に意志の疎通ができたと思つてゐても、相手が本当にさう感じてゐる保証はないと思つた方がよささうです。

(A面へ)

<今日の一唱>
謝霊運『田南樹園激流植援』

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA