第1009回 ヘブライ書と自給肥料

「我が宿は雪降りしきて道もなし踏みわけてとふ人しなければ」(よみ人しらず)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

書は読まれるためにあり、絵は見られるためにあり、音は聴かれるためにあり、ものは使はれるためにあります。存在してゐるだけでも意味があるとする見方もあるかもしれませんが誰にも気づかれなければ結局ないのと同じではないか。作つた本人だけが知つてゐればよいといふならば最低限の意味はあるのでせうが、それは社会から見れば存在しないに等しいものです。世の中で価値を持つためにはどうしたつて第三者の目に、耳に、感触に訴へなければなりません。

当たり前のことをつらつら述べてをりますが、ともすればこの明らかなことも忘れてしまふものです。どんなに気に入つた作品ができたとしても、どんなに渾身の傑作をものしたとしても、見る相手、受け取る側のことを考へてゐないものは作品とは言へないのではないでせうか。

IT現場でも同じことです。情報システムを作る時、それは誰が何をするためのものなのか、使ふ相手のことをどこまで考へられてゐるかが最も大事なことなのに、意外と別のところに重きが置かれてゐるものです。

(A面へ)

<今日の一唱>
よみ人しらず『古今和歌集』巻第六322

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