第996回 ジャイアント・キリングと真理非真理

「子供等は浮かぶ海月に興じつつ戦争といふことを理解せず」(土屋文明)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

当たり前の存在は存在を意識させない。つまり存在してゐないのと同値となります。存在してゐるのに存在してゐない。あるのにない、けどある。けどない。空気も水もガスも電気も、あるけれどもその詳細な素性は意識されてゐないやうなものです。玄関も窓も都市も電車も壁も掃除機もコップもリモコンも店も道路も階段も、身の回りの大部分のものは存在してゐながら何も主張せずただただその他大勢の背景に埋もれてゐるかのやうです。

しかし、もし本当にその存在を消失してしまつたら一大事となるでせう。日頃無意識に処理してゐたものが突然できなくなりパニックに陥るでせう。さうならないためには平生からそれらの存在を充分に認識し、その属性と役割と意義を理解し、その機能と献身と恩恵に感謝し、なくなつた場合の代替物を準備し、有事に備へてシミュレーションを怠らないことが必要です。

IT現場でもコンティンジェンシープランは極めて重要なものです。平穏な日常に慣れてしまふとすべてがうまくいくものと思ひ込みがちですが、むしろすべてがうまくいかないことを想定すべきなのです。

(A面へ)

<今日の一唱>
土屋文明『山谷集』

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