第984回 少名毘古那とクラトフスキー閉包公理

さてもこのブログ作り出でたることこそ思へど思へどこの世一つならずめづらかに思ほゆれ。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

聊か抹香臭ひ話になりますが、「この世」とは「現世」であり、「あの世」と対比させれば、自分が生きてゐるこの場所を、さうではない別世界すなはち死後の世界と空間的に識別する言葉であり、一方で、「前世」と「来世」の境界に位置するものでもあり、過去から連らなり未来へと繋がる現在といふ、時間的な区切りを示します。

これは何もスピリチュアルな話などではなく、「自分が属する地点から見た内部と外部」といふ視点、および、「それらの過去、現在、未来」といふ観点をもつて世界を見るといふ話です。

かういつた構造的な見方を常に意識してゐると物が立体的に見えてきます。さらにはそれらを組み合はせることによつてひとつの事象が2×3=6通りに多元化され、さらに世界は深まります。しかし油断するとどうしても、空間的にも時間的にも「今ここ」のことだけしか見えなくなつてしまふ。さうすると世界は極少的に小さくなり歴史は止まつてしまふのです。

IT現場のプロジェクトでも、このことは意識しておきたいものです。プロジェクトといふ観点で見れば、その内部と外部で何が起きてゐるか。そしてそれが過去の何から影響されてゐて、未来の何にどう繋がるのか。ここまで考へられるリーダーは強いです。

(A面へ)

<今日の本歌>
藤原俊成卿女『無名草子』

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