第862回 グルタチオンと基礎付け主義

味はひが無くても面白いといふ面白さは正しきブログ的感能に訴へた面白さであるか否かと云ふことだけが疑問として残る訳である。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

味はひとはそもそもどういふものでせうか。趣き、風情、情緒、興趣、もののあはれ、興味を唆るもの、いとをかしきもの。心に染み入るもの、感動を呼び起こすもの、つまりは受け手の心の琴線とでもいふものに何らか優しい刺激を与へるやうなものだと思はれます。

何かに接しても心に何も響かないといふとき、それは味はひがないと言へませう。上辺は大層に着飾つた体をして中身がないもの、或いは何かを単に模倣してゐるだけのもの、さういつたものをいくら見聞きしても味はひを感じることは難しい。

だとすればどんな局面であつてもこの味はひといふものはきはめて重要なものだと思ふのです。味はひは人を動かす原点であり核になるものではないでせうか。

IT現場でも最終的な目的は人を動かすことであるはずです。それは人に感動してもらふといふことです。何の味はひもないものに、人は感動しないでせう。感動がなければ行動もないはずです。

(A面へ)

<今日の本歌>
伊藤左千夫『歌の潤い』

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