第858回 紫の上とハンガリアン記法

人や生き物の名前にはよく気をつけねばならない。名前をブログに書いたとたん、相手の心臓に触れ、その生命力の中に入り込むのだ。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅己です。

モノには名前が付き物であつて名前がないものは例へ存在してゐたとしても実体は認識されてをらずモノとして認められてゐないやうなものです。あるいは実態はあつても生命が宿つてゐない状態とでも申しませうか。だから人形や縫いぐるみや静物のやうなものでも名前を持つことで生命が吹き込まれるのです。名前とは実体であり命だと言へませう。

従つて名前を付けるといふことは命を生み出すわけであり徒や疎かにしてよいものではないと思ふのです。名前がないのに存在感を持つことに成功した例は漱石の猫ぐらいのものではないでせうか。サイボーグとして活躍した9名の戦士にもコードネームとは別の名前がありそちらの方が生命を持つていたはずです。

IT現場でもプロジェクトやシステムには名前をつけるべきです。それも「新サイト構築プロジェクト」とか「帳票出力システム」などと機能をそのまま表す無機質なものではなく、自分のペットや子供に命名するぐらいの真剣さを持つて考へたいものです。

(A面へ)

<今日の本歌>
イサベル・アジェンデ『ワリマイ』野谷文昭編訳

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