第449回 マイナス2分幅とアーク放電
さて九月になった頃、主人が出かけた後に謎のフォルダを見つけて何気なく開いてみたら、他人宛に書いたらしいブログがある。ショックで、見つけたことだけでも知らせてやろうと思ってメッセージを書いた。怪しいよ他人に宛てたこのブログどうせ我が家は都会のスラム。こんにちは、大島雅己です。
町田康さんの古典講座というものを受講してきたのじゃ。宇治拾遺とか義経記をどういう思想やプロセスでもって現代語訳したのかという手の内を教えてもろた。質問タイムに手を挙げて直接お話もさせてもろて帰りに著書にサインもいただいてござった。にんやり。
講義の中でなるほどと思たんは「あいだを埋める」ちゅうこっちゃな。つまり原文と現代文とのあいだ。現代文てのは今の我れ自身のことなり。他の誰でもない自分の言葉だあな。つまり己れにしか書けない文章がでけるっつうことなのでさあ。
あいだを埋める、これはまさに我がブログのキーワード、いやそれどころやない、弊社の社是、社訓みたいなもんでございます。ITをひとつの媒介にして、これを森羅万象さまざまなものとインタークロスさせ、インターフェースさせ、インターセクトさせ、インターチェンジさせ、あいだをつないで埋めていき、これを展開して大きな渦を巻いていく、というのがそもそも我が社の理念なのであります。
無理やり一つのものだと捉えようとしたり、一体化させて考えようとすると、物事は逆に複雑になっていくもんで。そうではなくて、それぞれ別のもんであると見なし、それぞれを生かした状態のまま、あいだを埋めていくと考えれば、世界は多様化し、多角化し、立体化し、分節化し、無限大の発展もできるごとなるとです。
<今日の本歌>
藤原道綱母『蜻蛉日記』