第462回 非合理信念とザデー演算子

そう、それはこうして、ここで、こんなふうに、少々重々しく、ゆっくりと始まってもいいだろう。みんなのものであり、また誰のものでもない中性的な場所、ひとびとがほとんど見交わすこともなく擦れ違う、遠い、規則的な空間の生活が反響するこのブログで。こんにちは、大島雅己です。

フジ子・ヘミング女史のドキュメント映画を観ました。ピアノを含む様々なものへのホール・ロッタ・ラブ、燃えるような赤、そして猫が印象に残っています。最近ピアノの練習にまた挫折を感じていた身としては大いに励みになりました。

教訓として、まずは当然ながら徹底的な練習が必要だということ、その上で、正確な演奏というものにとらわれ過ぎないこと、これをあらためて認識した次第です。どうしても素人目からプロを見ると、あの人達はもともと天才だったのだとか、最初からうまく弾けてたんだと思ってしまうのですが、これぞ素人の卑屈というものです。

また、正確無比にやらなければいけないと考えてしまうことも初心者の勘違いというものです。フジ子女史も言ってました。本当にいいものは、多少よごれたり傷がついても魅力を失わないんだと。目指すべきはその境地だと思います。

IT現場では正確さが要求されますが、本当に必要なのはバグが1つもない完全無欠なシステムだとは限りません。融通をきかせて対処できることが重要なこともあれば、8割を確実にさばくことが優先されるというケースもあるでしょう。いつも同じところにゴールを置くわけではない、という前提で、今はどこに向かうべきなのかを考えるべきです。

<今日の本歌>
ジョルジュ・ペレック『人生 使用法』酒詰治男訳

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