第1626回 あまづらみせんと衢風

宵越しの炭酸水の泡弱く。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

最近たまたま芥川龍之介の小説を読み続けているのですが、内容はもとより、登場する単語が今更ながら気になって、ページを繰る度に驚いています。読み方がわからないもの、意味がわからないものが大量に出てきます。

たとえば『芋粥』だけでも、水干(すいかん)。品隲(ひんしつ)。篠枝(ささえ)。青鈍(あおにび)。菊綴(きくとじ)。伏菟(ふと)。楚割(すわやり)。内子(こごもり)。大柑子(おおこうじ)。橙黄橘紅(とうこうきっこう)。窪坏(くぼつき)。朔北(さくほく)。談柄(だんぺい)。行縢(むかばき)。雉子(きぎす)。縹(はなだ)。月毛(つきげ)。調度掛(ちょうどがけ)。潺湲(せんかん)。櫨(はじ)。壺胡簶(つぼやなぐい)。黄茅(こうぼう)。行潦(みずたまり)。頤使(いし)。破籠(わりご)。雀色時(すずめいろどき)。練色(ねりいろ)。曹司(ぞうし)。老若各(おのおの)。五斛納釜(ごくのうがま)。襖(あお)。堤(ひさげ)。

舞台が平安時代だからとは言え、ほとんどのものが、食事や衣服など、身の回りにある日常的なものです。読めなくても意味不明でも話の筋はわかります。しかしそれでは物語を本当に味わっていることにはならないでしょう。

日常的なものほど見えていないものであり、わかったつもりになっているということの表れでしょうか。

(A面へ)

<今日の一唱>
芥川龍之介『芋粥』

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