第1325回 ブレーベと詰め組み
あらぬものは、あるものにすこしも劣らずある(デモクリトス『原子論』)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
いつも言っているように、音楽記号の「休符」は「演奏を休む」ことではなく、「音を出さないという演奏をする」ことです。そこに音楽がない、と思ってしまうと、文字通り音楽は止まってしまうでしょう。
休符も音楽表現の大事な要素のひとつなのであり、音楽の流れにアクセントをつけ、意味を生み、方向を示しているのです。休符こそはフレーズとフレーズの間にできた「はざま」であり「周縁」であり「境界」であり、物語が生じる間隙なのです。
もし休符がなければ音楽にはアーティキュレーションがなくなり、つまり一切のドラマも物語も感動もなくなってしまうはずです。休符こそが音楽と言ってもよく、だからこそジョン・ケージの『4分33秒』も成り立つのでしょう。
「休符」ではなく、「素音」とか「白音」とか「空音」などと呼ぶ方がよいのかもしれません。
<今日の一唱>
デモクリトス『原子論』