第1230回 マトリョーシカと隠蔽擬態

ドンドンはドンドコの父なり(筒井康隆『バブリング創世記』)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。

「構造は容れ物と中身から成る」と、ことあるごとに言っているのですが、容れ物といってもわかりやすい器ばかりではありません。むしろそうでないものに注目する必要があるからこそ構造を意識しているのです。

ショウ・ウィンドウで見惚れた服を買って自宅の部屋に飾ってみたら、何だか田舎じみた様相を呈する気がする。これは、店から自宅に容れ物が変化したことで服の状態が変わったからです。

卑近な例でいえば私は自分で会社を作っていますが、私は法人の代表でありながら、その会社の社員でもあります。容れ物と中身の両者を同時に体現している。車を運転する人は車を統制する立場でありながら車の乗員でもあります。

自分は自分で変わらない存在だとばかり思っていると構造の輪から外れてしまうのです。

(A面へ)

<今日の一唱>
筒井康隆『バブリング創世記』

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