第465回 パロディアと信頼できない語り手
ブロガーからもらった無法の道具、なんでもかんでも書いてみる、アバクラタラリン、クラクラマカシン、アバクラタラリン、クラクラマカシン。こんにちは、大島雅己です。
和田誠さんの『倫敦巴里』で漫画のキャラクターと実在の人物の絵を合成する遊びがあります。例えばバカボンのパパと田中角栄、ニャロメと野坂昭如、ゲゲゲの鬼太郎とピーター、など(こういう名前も、知らない人が普通に増えてきているのでしょうか)。それまで何の共通点も意識していなかった所にそうやって提示されると、もう切り離して見ることができなくなってしまう。
そういえば人の顔や仕草を見て、なんとなく別の人物を連想することが時々あります。不思議なのは、それが他人には納得してもらえないケースがあることです。得意気に「あの人、○○○さんに似てるよね」と言っても、たいていは「うーん、そうかねえ?」「えー、どこが?」という反応が返ってくる。こちらはそっくりだと思っているのに、そう捕えない人もいる。モノのとらえ方は人によって異なる。そういえば群盲象を評すという言葉もあるなあ。
人の顔を認識する時、自分の中では自分なりの情報に置き換えていて、この置き換え方が違う人とは受け取り方も相容れないということでしょう。抽象化や帰納推論も関係しそうですね。
IT現場では人間が考える要件をシステムの設計に置き換えるスキルが必要です。言ってみれば、人の思いをコンピュータ言語に置き換えるということです。この時、「ぼやっとしたものを具体的な言葉にする」だけではなく、逆に「偏っているものを汎用的な言葉にする」ことも重要です。具体化と抽象化と両方いるのです。
<今日の本歌>
平山亨『5年3組魔法組』