第428回 ラップ口座と可謬主義

一編のブログを千代に書くための旅かもしれぬ旅をつづける。こんにちは、大島雅己です。

さて、どんなにすぐれた建築家や大工さんでも、自分の力量だけで理想の家を建てることはできません。建てたいという施主の意志が必要です。こんな家にしたいという具体的な要望が明確にならなければ誰もそれを具現化できるわけはないのです。

施主は建築については素人ですが、目指すゴールのイメージを持っている唯一の存在です。建築家は自分でゴールを描くわけではありませんが、それを実現する方法を熟知しています。双方ががっぷり組んではじめて理想の家が形になるわけです。もし施主が「相手はプロだから、細かいこと言わなくてもいい感じで作ってくれるだろう」と考えたり、逆に建築家が「相手は素人だから、最先端のデザインにしておけば文句はないだろう」などと思っていたら、家づくりは失敗するでしょう。

IT現場でも同じことがいえるのですが、これを勘違いしている人が意外と多いのです。事業現場の人は、システム部門に言っておけばうまくやってくれるものと多寡をくくり、システム部門は、現場の要望をちゃんと理解しないうちに設計を進めてしまうのです。お互いに、相手がわかってくれるだろうと過信してはいけないし、きっとこうだろうと勝手に判断することはNGです。忖度はしても、決めつけてはいけないのです。

ところで芸術の世界ではどうでしょうか。芸術家が提供する芸と、それを鑑賞する観客との、両者の需給バランスが取れているかどうか。そしてそれを適正にコントロールできる機能がはたらいているか。芸の世界に需給バランスなど邪道だという考えもあるでしょうが、すばらしい芸能を末永く発展させていくためには、提供する側の論理を通すだけではダメだと思うのです。

<今日の本歌>
俵万智『もうひとつの恋』

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