第11回 ダ・ヴィンチと西川きよし

イヨーッ、どうも。ドドントドンでエヘラポー、ニシラツー。こんにちは、大島雅己です。

初対面のかたに趣味の話をする時、楽器をやっていますと言うと、「音楽の才能がある人はいいですね」というような反応をされることがあり、面食らいます。「私は音楽は全くできないんで、才能ある人がうらやましくて」みたいな…。
楽器を演奏する=音楽の才能がある、という発想もすごいですが、まず何よりも、私自身は、音楽の才能などありません。ただ好きで続けているだけなのです。

そもそも才能とは何か?
一般的には、「持って生まれた能力」といったようなものでしょうか。努力して身につけるのでなく、生まれた時から備え持っている特殊なスキル。そんなもの持っている人がいるなんて、恐ろしいですね。
なるほど確かに、芸能スポーツ等の分野で、本当にそういう恵まれた人もいるのかもしれませんが、どんなにすごい人でも、ほとんどの場合は、人一倍努力や練習を積み重ねていると思うのです。何もせずに寝てるだけで偉業を成し遂げる人なんて、なかなかいるものではないでしょう(強いて言えば、人一倍努力や練習を積み重ねる、という力を才能と言ってもいいのかもしれませんが)。

似たような言葉で、「適性」というのがありますが、これもよくわからない。適性がある、とはどういうことか。
ものすごくせっかちな性格の人は車を運転する適性に欠ける、などという言い方ができるのかもしれません。向き、不向き、ということですかね。
となると、やってみたいことがあるのにその適性がないと判断されたら悲劇ですね。しかし、例えば「音楽の適性」なんて、どうやって測れるんでしょうか…?

「能力」というのは、才能や適性とは関係なく、努力をして獲得した結果得られるスキル、ですかね。であれば、誰でも平等に手にすることができると言えましょうか。

趣味の世界であれば一番わかりやすいのは「嗜好」でしょうか。好きであること。これはシンプルですね。

仕事の場面でも、才能、適性、能力、嗜好といったものが関係しそうですが、私がやっているITの分野では、少なくとも才能は関係なく、適性も微妙で、一番わかりやすいのは能力、つまりちゃんと勉強して修得していくものだと思います。そこに嗜好が加われば上達は早そうですね。好きが仕事になっているケースで、そういう人は幸せだろうなあと思います。
私は別段、好きだというわけではなく、もちろん才能やら適性も恐らくありませんので、ひたすら勉強して失敗してだんだん覚えていった口です。でもたいていの人はそんなものじゃないかなと思いますが、どうでしょう…。

<今日の本歌>
立川談志「居残り佐平次」

 

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