第214回 しゃかりきとリーマン球面

ある者は見つつありてしかも言語を見ず。またある者は聞きつつありてしかも言語を聞かず。またある者は読みつつありてしかもブログを読まず。こんにちは、大島雅己です。

今たまたま仏教のことを調べています。特にブッダの生涯について。思えばこれまであらたまって調べたりしたことはなかったのでした。
手塚治虫ブッダも最後まで読了していなかったことに気づいたので、そのリカバリーも含めて関連書籍をどっさり買い込み図書館からも調達し、読み込んでいます。

いろいろと発見がありますが、なかでも難しいのが「空」という考え方ではないかと思います。
これはカラっぽということではなくて、「ないという状態」がある、ということだと思いました。もともとあるものを空というものに変化させるとでもいいましょうか。

ITっぽく言うと、ブランクではなくでスペースということでしょうか?
音楽で言うと、休符がある時にそれを「何も演奏しない」と捉えるのではなく、「休符という音を奏でる」と捉える。そういうことでしょうか。

この認識が正しいかどうかは、なかなか判断が難しいですね…。

<今日の本歌>
辻直四郎訳「リグ・ヴェーダ讃歌」

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA