第1542回 エチュードと不作為義務
長袖もTシャツもいる梅雨の昼。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
楽曲の譜面を買ってきて、初めて楽器で演奏しようという時、たいていの場合あまりの難しさに愕然とするものです。いや、難しいというよりも、自分の演奏の稚拙さに愕然とするというのが正しいでしょう。
譜面の問題ではないのです。何が書かれているか充分に理解できているし頭の中ではきわめて流暢に音も響いている。それなのに、指でピアノなりギターなりを鳴らそうとするとわざとやっているのかと自分で突っこみたくなるぐらい間違った動きをしてしまうのです。あれおかしいなと慌ててやり直してもまた同じ失敗をなぞる。あるいは別の間違い方をする。
これを数回、十数回と繰り返すうちに、あまりのひどさに失笑を越えて大笑いしてしまうのですが、それを通り越えて何日も楽器に向かううちに、気がつくと少し弾けるようになっているのです。さらに続けているとそれなりに聴けるレベルに達しているのです。そうして何日、何週間、何カ月とするうちに、他人の鑑賞にも耐えうるレベルにまで上達しているのです。ここまで来ると、最初の頃になぜあんなに弾けなかったのかもう思い出せなくなっています。そうやってまた新しい曲をゼロから同じ工程で学んでいくのです。
そういえば『ドラえもん』でのび太が竹馬の練習をする話がありました。最初はまったく乗れなかったのに、傷だらけ痣だらけになって練習した挙句、一日で「こんなかんたんなことが、なぜ、いままでできなかったんだろ」と言えるほどの腕前に変わるのです。傷や痣や恥を恐れないことです。
<今日の一唱>
藤子・F・不二雄『ドラえもん』