第1517回 涅槃寂静とイプシロン・デルタ論法
暑くても羽毛のやうな服の猫。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
「たったの」「それっぽっち」「ほんの」「わずか」「それぐらい」「たかだか」「せいぜい」等々。こういった言葉ばかり使うようになると、物事を軽視する癖がつきそうです。軽視されたものは究極的には限りなく無に近くなっていくような気がします。数学で言うデルタのように、あるのにないような、あってもなくてもいいようなものとみなされて、あるべきなのにないものにされたり、ないものなのにあるようにされたり、どっちだかよくわからないのですが、いや、そのどっちだかよくわからないこと自体が問題なのに、それですら曖昧になってしまう恐れがあります。値が小さいということと、軽視してよいかどうかは別問題です。
そういえばサザエさんで波平とカツオの「おはようぐらいいったらどうだ?」「おはようぐらいいわなくたっていいじゃない」という会話がありました。「ぐらい」という捉え方の怖さを示している好例だと感じます。
<今日の一唱>
長谷川町子『サザエさん』