第1458回 カプリッチョと猾手段
あつ寒く寒あたたかくあつ涼し。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
バンドのライブ活動をする中でいつも悩むのは、ステージ上で譜面や歌詞を見ることの是非です。私自身はあまり気にしていなかったのですが、ボーカルが歌詞を見ることに反感を持つ人がいます。その言い分は「観客を向くべき者が手元のカンペを見ているのは興醒めである」「演者であるならば内容が体に染み込んでいるはずである」「芝居や落語は台本を見ながら演じない」ということなのでしょう。
なるほどその論旨はわからなくはありません。しかし、もう少し突っこんで考えてみたいのです。例えばオーケストラの奏者や指揮者、あるいはロックバンドのホーンセクションが譜面を見るのはどうでしょう。そこに違和感がないとしたら、ボーカルが歌詞を見るのとはどう違うのか。朗読劇ではテキストを読むのが普通ですが、では朗読劇と芝居の違いは何でしょうか。そんなことを考えていくと、舞台上で演者がガイドに頼ることが、不自然だとは思えないのです。
問題になるとすれば、歌詞ばかり見て周りを聴いていないとか、観客を無視しているようなケースですが、それは歌詞を見る見ないの話ではなく、本人のそもそものスタンス、演者としての自覚が問われるべきでしょう。
そういえばサザエさんがしろうと演劇に参加した際、主役をやりたかったのにセリフ係にされ、その腹いせに本番ではプロンプターボックスから演者に向かってあかんべえのポーズで報復しました。確かに、完全にガイドに頼りきるのは問題です。
<今日の一唱>
長谷川町子『サザエさん』