第1380回 ドワネルと概念依存理論
極寒を言ひ訳にしてもう一献。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
「大人は判(わか)ってくれない」とは歌謡とか漫画とかドラマなどのタイトルに使われていますが、おおもとはトリュフォーの映画であるはずです。ちなみに原題は「400回の打撃」みたいな意味で、つまりさんざんな目にあったというようなことのようで、それはともかくとして、「わかってくれない」という感覚とはどういうものなのかを考えてみたいのです。
自分と相手の関係において、自分はわかってもらおうと努力しているが相手が誤解しているか、無視しているか、拒否しているなど、こちらの意向が正しく受け取られない状態が考えられます。
もうひとつは、そもそも自分から発信をしていないとか、相手にわかるような伝え方をしていない、つまりわかってもらう努力していないケースもあり得ます。もし後者であるのなら「わかってくれない」ではなく「わからせてあげられない」と言うべきでしょう。
そういえば『子供はわかってあげない』というのもあります。「わかる」と「わからせる」は表裏一体なのです。
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<今日の一唱>
田島列島『子供はわかってあげない』