第1215回 カルバートとウィルヒョウ三要素
昼吠ゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼ひ(清少納言『枕草子』)。こんにちは、スパイラル研究所の大島雅生です。
クーダラナイ、と言えばココロのボスですが、この言葉は、興醒めするものに対して嫌悪を込めて言うこともあれば、マニアックな笑いを誘うものを賞賛して使うこともあります。元の意味を調べてみても明確なことはよくわからないのですが、どうやら「筋が通らない」「意味が通じない」ことから来ているようです。
つまり「下る」とは「通る、通じる」ことなのでしょう。やはり物事は一か所に留まらず流れ続けなければならないのだ、と意を強くしたところ、「通る、通じる」とは「詰まっていない」わけで、これは「つまらない」ことになるのかと不安になりました。しかしこれはまた別の話で、「つまる」は「話が落着する」ことなんですな。確かに、議論が煮詰まる、と言いますね。
流れているだけでなく時にはしかるべき鞘に収まることも重要なのです。
<今日の一唱>
清少納言『枕草子』