第70回 三波春夫とバリューチェーン
永いあいだ、私は自分が生れたときの光景をブログに書いたと言い張っていました。こんにちは、大島雅己です。
サービスとは何なのか。いつも考え続けていますが、なかなか難しいですね。人に何かのサービスを提供する時、一体どのレベルまで踏み込むのがよいのか。これが悩ましいです。
例えばモノを一つ売る場合。
店舗を構えて商品を陳列する。ほしいお客さんは来店して商品をレジに提示し金銭を支払う。店側は商品を包装してお客さんに手渡し、売買が成立。お客さんは持ち帰る。まあこれが基本的なパターンですかね。
もう少しサービスを踏み込むと、店舗でなく移動車で客先を巡回し、御用聞きに走る。またはウェブ上で売買を可能とする。これなどはお客さんの移動行為や拘束時間を削減するという、サービス形態の進化ですね。さらには自動定期販売ができるようにしたり、アフターフォローを拡充したり等など、ますます踏み込むレベルが深化していく気配を感じます。
お客さんの不便、不満、不安、不快などのいわゆる「不」を解消することはサービスの原点ですが、そのレベル感を見極めるのが難しいと思うのです。
IT現場では、例えばウェブ画面を作る際にユーザーインターフェースが重視されます。画面のデザイン、機能、動き等が、利用者にとってわかりやすい、使いやすい、手間のかからないものにしなければならない、というものです。しかしこれは簡単に答えが見つかるものではないでしょう。
わかりやすい、とはどういうことか。画面に表示する要素は少なければ少ないほどシンプルですが、何も説明がなければ使い方がわからなくなるかもしれません。一つの画面がシンプルになっても次々にたくさんの画面に移動しなければ全体が見えないようでは手間が増えます。個人ごとの好みに幅広く対応しようとすると逆に画面は複雑になってしまうでしょう。
ITの相談事項にしても、お客さんの要望をそっくり代行してあげるのがよいのか、方向性だけアドバイスしてお客さんの自走を促進してあげるのがよいのか、踏み込むレベルを常に意識するようにしています。
こういう時によく読み返すマンガが、何度かご紹介している藤栄道彦氏の「コンシェルジュ」ですね。お客さんの要望はどこまで受け入れるべきなのか。理想のサービスとは何なのか、考えさせられます。サービスを利用する立場として、提供する立場として。
<今日の本歌>
三島由紀夫「仮面の告白」