第59回 アサーションと剛毅木訥

はじめに気持ちがあって、言葉とブログがある…。こんにちは、大島雅己です。

いまピアノのレッスンで、ショパン「ノクターン」作品15の第3番というやつを練習しています(どうでもいいけどクラシックの曲って何故こういうわかりにくいタイトルのつけ方をするのかしら)。
ベテランのピアニストからすると簡単な曲なのかもしれませんが、途中にある激しい和音攻勢的な部分など私にとってはどうしようもなく難しく、歯が立ちません。練習すれどもすれども一向に進歩が見られないどころか、1ミリぐらい前進したかなと思っても翌日には3センチぐらい後退しているような感覚を味わう日々で、絶望感が半端ではありません。作曲したショパンを怨もうかと何度も思いましたが、本人は素晴らしい曲を作ったという偉業しかありません。嗚呼。

しかし、本日レッスンの場で先生に言われたのは、ちょっと違う観点からのアドバイスでした。
譜面が難しくて弾けないのを嘆く必要はない、と。それはプロだって同じことで、必死に練習を重ねて弾けるようになるのだ、と。
それよりも、譜面を正しく弾けるようにということばかり考えているのではなく(それも大事だけど)、どうやって自分の音楽を表現するか、それを意識し、考えることの方が大事なのです、と。

そうなのです。実はこれは、いつもいつも言われていることなのです。全く何もできなければ話になりませんが、多少なりとも弾けているのであれば、いかに正しく弾くことよりも、その曲で何を伝えたいのか、どういう表現をしたいのか、それがなければ、聞き手の心を動かせないのです。それでは音楽にはならないのです。
それはわかっている…(つもり)なのですが、どうしても目の前の譜面を忠実に弾くことに明け暮れてしまうのです。ダメですねー。

ITの世界でも何でも、自分の世界に閉じたままで何かを進めることということはないですね。何かしら、他人を動かすことが目的なはずです。そのためには、自分が何を表現したいのか、何をアピールしたいのか、それが大事なことですよね。

<今日の本歌>
美内すずえ「ガラスの仮面」

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