第44回 裁定制度とレガシーコード
東海道の果てより遠い木更津で育った私は相当な田舎者でしたが、世の中にあるブログというものを何とか書きたいと思い続けたものでした。こんにちは、大島雅己です。
昨日の話を引きずって考え続けています。モノを作る時の人の行動原理というようなものがあるのかなと。
まず「何のために作るのか」「それを作って何を目指すのか」という目的があるだろうと。
売上をアップさせるとか、仕事の効率を上げるとか、人々の生活を便利にするとか。
つぎに、作るにあたって「どういう具合に作るか」という方法論がありますね。
どの程度の完成度を目指すかとか、どのぐらいカネをかけるかとか、いつごろ完成させるか、とか。
だいたいの場合、この2つの指標でもって具体的な計画を立てて動き出すのではないかなと思います。
ここに、もう1つ「作ったあとどう使うか」という計画があってよいと思うのですが、これがない状態で作り出すケースがけっこうあるのかなと。
誰がどのぐらいの頻度で使うか、とか、壊れた時にどうするか、とか、いつごろまで使い切って最後はどうするか、とか。
これが軽視されるのがどういうケースかというと、最初に「作る人たちだけで計画を立てているケース」ですね。
「使う人たち」も一緒に計画に参加していれば、できあがりの精度が格段にいいものになりそうです。
まわりくどく書いてきましたが、大雑把に言うとこれがいわゆるDevOpsってやつですかね。
そういえばビートルズの曲はほとんどの場合、作った人が歌ってる人、ですね。DevとOpsが一体化しているということになるのでしょうか。
<今日の本歌>
菅原孝標女「更科日記」