第38回 SECIモデルとスタニスラフスキー

ブログが私のアルコールです。こんにちは、大島雅己です。

立川志らく師匠の舞台「不幸の家族」を観てきました。師匠お得意の、落語と芝居が入り混じったイリュージョン。落語「青菜」を皮切りに、戦争、世界平和、家族愛、友情、愛、師弟、話芸、反権力…などのテーマが入り乱れる、爆笑と感動のエンターテインメントでした。ベースになっていたのが向田邦子氏の「あ・うん」。

それで思い出したのが「阿吽の呼吸」というやつですが、ITの現場では、ナレッジが暗黙知になりがちなのが大きな悩みの一つです。本来は可視化、汎用化して、組織知として運用させるべきなのですが、どうしてもベテラン勢の勘や経験がものをいい、それに頼ってしまう傾向があります。
特に大規模なシステム開発は定められた手順で杓子定規に進められるものではなく様々な不確定要素が発生しますが、そういうものは過去に失敗やトラブルで痛い目にあった当事者でないとなかなか想定できないし、それに対するリアルな危機感を持てないもの。かといっていつまでもベテラン職人に頼り続けていては後継者が育たない。

新しく先進的な技術と古い安定した技術。若く向上心あふれたメンバーと熟練のベテラン職人。それらがうまくコラボレーションしながら開発現場が活性化していく、というのが理想なのですが、そのために何をするべきか。それが私の永遠のテーマです。

そういえば志らく師匠をみていて、ふと大師匠の談志の姿に重なることがありました。

<今日の本歌>
中島らも「今夜、すべてのバーで」

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