第31回 マスコミと酢酸エチル

お気が向きましたら明日また琴でも持ってお越しください。こんにちは、大島雅己です。

サービスとは何だろうか、ということをいつも考えている気がします。
そもそもサービスとは何か。サービスの理想型とはどんなものか。人は何故サービスを求めるか。サービスに課せられた使命は何か。サービスにまつわる問題は何か。どうすれば新しいサービスを作れるか。云々。

サービスを取り巻く登場人物をとことん単純化すると「提供する人」と「享受する人」でしょうね。つまり「ほしい人」と「あげる人」ですね。つまり「買いたい人」「売りたい人」ですね。
現実には、この両者の間にさまざまなものが介在しています。間を取り次ぐ人、場所を提供する人、ものを作る人、運ぶ人、検査する人、管理する人…等々。

この構図のどの部分を取り出してみても、結局は「ほしい人」と「あげる人」がいて、それがつながっているわけですね。自分が直接やりとりしている人だけでなく、その向こうにも、そのまた向うにも提供者がいるし、逆に自分の後ろ、そのまた後ろにも享受者がいる、と。
これが一本の線になっているとは限らず、何本もの線を持っている人もいるし、立体的にまたがってつながっている人もいる。
自分が関っているサービスに関して、この複雑なフラクタルをどこまで把握できているか。どこかで線が切れてしまっていないか。そんなことを意識するようにしています。

藤子不二雄著「新オバケのQ太郎」でO次郎が考案した「バケラくじ」は、その点を考慮できていなかったから失敗した。「あげる人」が存在しない場の中で両者を無理やり設定する形になっていたわけですね。思い付きは面白かったのですがね。

<今日の本歌>
李白「山中与幽人対酌」

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