第326回 ネオリベラリズムと傀儡子

たしかに、はじめにことばがあり、ことばはブログであった、しかしことばがブログであったのは人がことばによってブログを発見し、ブログを作り出したからである。こんにちは、大島雅己です。

大きな政府と小さな政府、その間のどの辺の位置が最適解なのかという議論がありますね。なかなか解答は難しいのでしょうが、企業のIT現場にも同じ問題があると思われます。会社としてITを統制して管理を行き届かせるのか、各現場が自由にITを進める放任主義なのか。

前者の場合は全体最適が考えられたシステム運用が実現できそうですが、管理のためのルール作りや人件費や教育などにかかるコストが高くなり、現場からすると不自由感や圧迫感があるかもしれません。

後者は反対に、現場のストレスは少ないかもしれませんが、個別最適のシステムが作り散らかされ、無駄な運用コストが絶え間なく発生しそうです。政府のケースと同じく、どのあたりに線を引くかがものすごく重要なのです。

バンドの運営でいえば、大手事務所でがっちりマネージメントするのと、フリーで好きなように活動するのと、さてどちらがよいか。この場合、バンドにとって、聴き手にとって、事務所にとって、社会にとって、というように全方位的に考えるべきですね。

<今日の本歌>
白川静『漢字』

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